

スズキメソードの創始者の鈴木鎮一氏は「才能はあるものではない、つくるものだ」と言っています。
私もそうでしたが、「私には才能がない」と言って自分の立てた目標を放棄し、諦めてしまう人が多いのではないでしょうか。
鈴木鎮一氏はこの考え方は間違った考え方で、「どの子も育つものであり、それは育て方一つにかかっている。だれでも自分を育てることができ、そしてそれは正しい努力ひとつにかかっている。」と言っています。
小学校3年生から始めたスズキメソードのレッスンでは、真剣に自分の能力を伸ばそうという思いはありませんでした。もちろん、小学校から中学校、高校とレッスンを続けていくうちに、まさに「私には才能がない」と考えて、大学受験を理由にヴァイオリンに対する能力を伸ばそうという考えを放棄してしまいました。
当然、氏の考え方は知っていましたが、真剣に練習しない私は自分の努力を棚上げにして、「指が開かない」「リズム感がない」「音程がちゃんと取れない」ともっともらしい言い訳をしていたと思います。

私は中学校2年生の時「Red Wine」を購入しましたが、それが初めてのHand Madeのヴァイオリンでした。
58歳の誕生日を迎えるころ、テレビで話題になっていた広末涼子の結婚相手の父、井筒信一氏が製作者であると知って、家族で登山の旅行をするついでに、「Red Wine」を携えて井筒信一死の工房のある松本市まで会いに行きました。
ヴァイオリンを見てもらうと、間違いなく井筒氏が製作を始めた頃のヴァイオリンだということで、大変懐かしがっていましたが、まだ技術が伴っていなかった頃で、その出来栄えが恥ずかしいのか、新しいヴァイオリンを作るので、是非弾いて欲しいと言われました。
以前ヴァイオリンに対して、努力することを放棄してしまった思いが頭をかすめ迷っていましたが、あの天才ヴァイオリニストの五嶋龍がパガニーニの「ヴァイオリン協奏曲第1番」でデビューした時に弾いていたヴァイオリンの製作者でもある、井筒信一氏の渾身のヴァイオリンを手にする以上もう一度努力してみようと決心しました。そのヴァイオリンが「Golden Zebra」です。
そして、58歳になって再びスズキメソードのヴァイオリン教室に通い始めました。今度は鈴木鎮一氏の「才能はあるものではない、つくるものだ」を信じて「聴く人を感動させる曲が弾けるように」と目標を持ってバイオリンを手にしました。
そして、再度「努力と才能」について、自分の考え方を固めるために色々情報を検索していてこの本にめぐりあいました。
この本は、科学的に実験、事例に基づいて結論を出しています。それが全てだとは思いませんが、鈴木鎮一氏が言っていたことを証明する内容でした。
私と同じように考えて、ヴァイオリンに限らず、努力を放棄してしまった人は他にもいらっしゃると思います。自分の才能について悩んでいる人に参考になれば幸いです。
ヴァイオリンを習うには子供のほうが適応性が高いと考えていらっしゃる方が多いと思いますが、この本の著者アンダース・エリクソンは新たな能力を身につけるのに、年齢はその壁にはならないと言っています。
私も、60歳を超えていますが、ヴァイオリンの技術の高みを求め努力できるのは、、この言葉を信じ背中をおしてくれいてるからだと思っています。
1つの曲を弾けるようになって、同じ曲をただ弾いただけの練習を何十時間積もうが、それ以上の向上にはつながらないということです。次の課題をたて、それにチャレンジすることは、新しい領域に踏み出すことであり、精神的にも、肉体的にも、技術的にも困難で苦労するな状況の中で能力を向上させることは大変なことですが、それを乗り越えないと目指す目標に到達しないということです。
私もそうですが、できたら、もうすでに到達している領域に留まり、苦労なしにヴァイオリンに接していたいと思う時が結構ありますが、それは自分の向上を断念したことと同じになるのです。
ヴァイオリンや私の趣味のゴルフも、このステップを一歩一歩上がるように着実に自分のモノにして初めて、上達していくということです。
ヴァイオリニスト「オイストラフ」やゴルフの「松山英樹」の超一流と呼ばれる人もこのステップを一歩一歩積み重ねていったのかどうかはわかりませんが、厳しい練習を積み重ねていったことは想像できます。
ただし、私みたいな凡人と比べるとやはり、ヴァイオリンの技術的な適性やゴルフの適性はやはり高かったのだと思います。
けれども、凡人でも自分の課題を一つ一つ乗り越えていくことで、超一流と呼ばれている人たちに近づくことができるということです。そこには上記のような努力が必要であるということです。
コンフォートゾーンに留まって、何時間も練習して「私はこんなに練習したのだからヴァイオリンの能力は向上している」と思っている人が少なからずいらっしゃると思います。
それでは、脳に変化が起きず効果的な練習になっていないということです。自分の課題は何なのかを自覚し、それを乗り越える練習を積み重ねることで、技術は向上し超一流と言われる人たちに近づくことができるのしょう。
アンダース・エリクソンは次のようにも言っています。
私自身も正直「ホントかな」と思う部分もありますが、人生をポジティブに生きて行くきっかけになることは確かです。
私たち凡人でも、課題解決型の訓練により「超一流になれる」ことを信じて、マスロー(マズロー)の「自己実現」を実感したいものです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
アンダース・エリクソンの「超一流になるのは才能か努力か?」第2弾です。
今日は、「限界的練習」について説明していきます。
アンダース・エリクソンは、ヴァイオリン音大生の練習時間を徹底調査しています。その結果「Sランク」の学生が練習に費やした時間の平均は「Aクラス」の学生たちより多く、また上位2グループが(SランクとAランク)が一人での練習に費やした時間は、音楽教育専攻の学生よりはるかに多かったそうです。
「練習に膨大な時間を費やさずに並外れた能力を身につけられる者は一人もいない、と言い切って間違いないだろう。(P141)」
傑出したヴァイオリニストになるには数千時間の練習が必要であるとのことで、近道をした者、比較的わずかな練習でエキスパートレベルに達した「天才」は一人もいなかったそうです。
また彼は、この種の練習を研究しているうちに、技能レベルは時代とともに大幅に進歩しており、個人が取得する技術や技能の水準は向上・高度化していること、またこうした技術を教える教師やコーチもさまざまな方法で発達させている。
練習メニューは学習者の現在の能力に基づき、現在のレベルを少しだけ超えられるように設計されている。これを「限界的練習」と定義しています。
競争がほとんどないガーデニングなどの趣味の分野、企業の管理職、教師、電気技師、技術者、コンサルタントなどは優れた技能とは何かという客観的基準がなく、限界的練習とは無縁のものですが、楽器の演奏、バレエなどのダンス、体操、フィギュアスケートなど個人の技能が評価されるものは限界的練習の対象となります。
彼は「限界的練習」についていくつか示しています。
このように、天才は練習の積み重ねで誕生します。その練習方法は「限界的練習」が効果的です。天賦の才能で生まれながらにして天才と呼ばれている人がいますが、彼らはその技能のレベルが高かったのかもしれませんが、それを維持・向上させるために膨大な練習をしてきたのだと思います。
アインシュタインが言っているように「天才は努力する凡才である」ということでしょうか。私たち凡才も努力によって超一流になれる可能性は誰も否定していません。
また、エリクソンは「限界的練習の意欲を高めるもう一つの要素が、自分は成功すると信じる気持ちだ。」と言っています。
最後に彼は、次のように言っています。
彼は、一貫して「生まれつき才能がある人」はいないと言っています。私は「人間の思考は自分の能力を超えた領域を意識して、その領域は一部の才能のある人が活躍できるものと捉え、自分自身がいくら努力してもその才能ある人を超えることができない」と考えていましたが、この本はその考え方を根本から否定するものでした。
スズキメソードでレッスンを受けてきましたが、「才能はうまれつきではない」という鈴木鎮一氏の考え方は正しかったのだと確信することができました。
©Copyright アマチュアのヴァイオリンとゴルフ日記. All rights reserved.